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2025.04.26
四季の山紀行(飛計路のブログ)
■ 伊吹山地・横山岳・・・・2025年04月26日

皆様の記録を参考に、雪の少なくなる頃合を図っていると、新たに新雪が増えた週があったかと思うと、事故のニュースなどもあったりして、4月も末になってしまった。駐車地の桜は流石に葉桜、ところが周辺の草花はやや少ない。合わせた様にハイカーの姿も控え目で、雪が残るであろう谷コースは閉鎖である。
コエチ谷に向って歩く路傍に咲くクサイチゴ、イチリンソウは少ない。同じく白い花を咲かせる二つであるが、耳目はもっぱらイチリンソウに集まる。花の後に甘い果実を付けるクサイチゴにしてみれば、憤慨どころか提訴してもなを糾弾したい事態である。そこへいくと、有名無名の春の花を、公平に撮影しつつ後ろを歩く3人は偉い。偉いには違いないが、距離を空ける手段であるから、やはり一般の草花の不満は募るばかりだ。
後続があっては背後にじわりと圧がかかる。そうは云っても日射しは暑いし、エンジンだってアイドリングは必要だ。その上、目の前に立ちはだかる峠までの山腹はほぼ崖である。ただ真っ直ぐに延びるコースを見上げて湧く気力はむしろ乏しい。沸騰する体から汗が落ちる。俯いた目に映る斜面の花は小さく数も少ない。下の方で、笑いさざめく後続にも、この後訪れるであろう労苦である。
峠に登ると風が強い。汗は直ぐに引くものの、峠の先に聳える三高尾根の厳しい様子。後続の出現で、ギアを入れ替え登り始めたお二人の、小さな背中が哀れであった。この尾根が、人情を解さぬ事は先刻承知。がしかし、ひょっとした拍子に人情に目覚める事もあるのではないか、そんな期待をする人はアホと呼ばれる。後続の気配がして、哀れな姿がまた一つ尾根に増えた。むかしなら修験の者と呼ばれたろう。
取り付いた以上は上に出たい。亡者と化して厳しい斜度を這うように登る。堆積した落葉は憎い奴だ。斜度が緩むと白谷を隔てた東尾根が見えて来た。広大な空間を目の前にして、轟く音は谷の水音。振り向けば、金糞岳と余呉湖の間に湖北の街と霞む琵琶湖。見上げた横山岳は未だ相当の高みにある。真っ白なタムシバや辺りの岩石などを観察する間に、屈強な団体さんが通過して行く。続いて後続の3人が登って行った。これで随分自由になった。山ほどはこうありたいもの。
再び斜度の出始めた露岩地帯、チラホラ咲くのはカタクリである。谷への展望に優れた辺りはヤマシャクヤクの生息域、今年の蕾は多いように思う。ゆっくり歩くお陰で乳酸の蓄積は少ない。少々遅れて山頂に到着、一面の残雪で、後続であった3人は林の中、折角の日射しであるからお日様の恵みとともに、山頂の端を借りてお昼休息。
お昼の後は、多めの残雪の上を歩いて花などは見ない。奥美濃辺りの雪景色を見ながら東峰に降る。雪の消えた辺りのイワウチワは咲き始めたばかり、ブナの林の下を歩くと小さなオウレンが招いている。これで降れば「山笑う」頃の山歩きであった。が、今回は、山が呼ぶのか精霊が呼ぶのか、あるいはあのオウレンの目論見であったか、一旦降った尾根道を登り返すというシーンが付いた。昨年は最後に楽をさせて頂いた。今年は逆に最後に大汗になると云う日であった。こうなると、来年はどんな事になるんだろうか。