お客様の成長に
役に立つ存在で
あり続ける
CONTINUE TO BE USEFUL FOR CUSTOMER
GROWTH

時代や成長とともに
変わりゆくシステム
想いをつなぎ
更なる変革に貢献する
大阪南森町にあるネクストブレイン株式会社は、
38年にわたりお客様の長年使われてきたシステムを、
より便利で効率的な新しい仕組みに移行することで、
安心と満足を提供してまいりました。
これからも、受託開発や販売・生産管理システム「ポラリス」、
そしてシステムエンジニアリングサービスなど
最適なソリューションをご提案してまいります。





HISTORY
新生 ネクストブレイン株式会社 始動!
旧(株)日本ソフトウェアブレインは、旧(株)ネクストサイエンスと合併し、新たな成長ステージに向け「ネクストブレイン株式会社」として生まれ変わりました。これを機に、より革新的なサービスと価値を皆さまに提供してまいります。今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。
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旧(株)日本ソフトウェアブレイン
旧(株)ネクストサイエンス
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1987年9月
創業者山本誓により設立(京都市左京区)
SES事業及び特定労働者派遣事業を開始 -
1987年10月
特定労働者派遣事業を開始 -
1989年8月
京都事業所を開設(京都市中京区) -
2001年5月
大阪事業所を開設(大阪市淀川区) -
2011年2月
大阪事業所を閉鎖 -
2012年5月
創業者飛計路伸朗により設立(大阪市中央区内本町)
受託開発及びSES事業を開始 -
2012年8月
特定労働者派遣事業を開始 -
2012年12月
「設計維新」リリース -
2015年4月
販売・生産管理システム「Polaris【ポラリス】」リリース -
2018年2月
労働者派遣事業許認可 -
2018年9月
労働者派遣事業許認可 -
2020年8月
M&Aにより、京滋ユアサ電機(株)(現アスコネックス(株))へ事業譲渡
代表取締役社長に縄稚浩次が就任
前代表取締役社長山本誓は会長に就任 -
2020年9月
本社及び事業所を移転(京都市下京区) -
2022年8月
会長山本誓が任期満了のため退任 -
2022年12月
本社及び事業所を移転(大阪市中央区南船場) -
2023年10月
KRP事業所を開設(京都市下京区) -
2024年4月
京滋ユアサ電機(株)(現アスコネックス(株))と資本提携
代表取締役社長 飛計路伸朗留任 -
2024年10月
本社及び事業所を移転(大阪市北区) -
2024年11月
本社及び事業所を移転(大阪市北区) -
2024年11月30日 (株)ネクストサイエンスと合併 「ネクストブレイン株式会社」に社名変更
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ABOUT US
ネクストブレインの強み
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01
受託開発_お客様の事業に寄り添います
システム設計・開発のみでなく、業務改善から運営保守までをトータルにご提案、お手伝いいたします。
打ち合わせの段階から積極的に改善提案を行い、納得ゆくまでご提案いたします。 -
02
販売・生産管理システム「Polaris(ポラリス)」開発・販売_ものづくりの現場に最適なパートナー
「Polaris」は北極星を意味し、古くから旅や航海の指標として用いられてきました。
この名前には、お客様の生産活動において、正しい方向に導き、ものづくりの現場を守り抜くという思いがこめられています。
シンプルで使いやすく、業務に合わせた柔軟なカスタマイズや段階的な導入が可能で、業務改善や効率アップを実現します。 -
03
システムエンジニアリングサービス&エンジニア派遣_業務知識とIT技術の頭脳集団
弊社のエンジニアは、長年お客様先の基幹システムに携わっております。
現場の業務を知り尽くし、業務知識とIT技術を余すところなく発揮、問題点をヒアリングしながら、開発支援に貢献する頭脳集団です。


RECRUIT
採用情報
知名度ゼロ、 小さな会社です。
だからこそ、 ネクストブレインを知っていただく機会を
いただけないでしょうか。
まずは、 カジュアル面談で気軽になんでもお話しませんか?

NEWS
お知らせ
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2025.06.30
四季の山紀行(飛計路のブログ)
■ 京都西山・行者山拾遺・・・・2025年06月28日
暫くは梅雨が続くものだと思っていたら、呆気なく、気象庁は梅雨明けを宣言した。八大竜王を呼ぶ事もなく、一見穏当に見える梅雨ではあったが早足で過ぎた後遺症は水不足だけだろうか。これから10月まで続く夏は脅威である。雨がないなら南部も有り、が今週は大人しく亀岡辺りでお茶を濁そう。寒気のお蔭で湿度は低い。行者山の北部探索は残っている。 南からの千手寺ルートは体験済、寺までの道のりはやはり徒歩が望ましく防獣柵の手前で車を捨てた。側溝を流れる水には勢いがあって涼しげな様子、だが日射しは厳しい。綺麗に草刈りの済んだ中に佇む白いパンサー、克く見ると虎らしき紋様もあり、とするこれはホワイトタイガーと言う事になるのだが何とも判断が難しい。 寺へと続く樹林の回廊では、山肌に例の怪しいシダが光る。セラギネラ属イワヒバ科コンテリクラマゴケ、という一見すると西洋風の名称、漢字にすると紺照鞍馬苔、なんじゃい、鞍馬辺りの紺色の苔かい、と言いたくなる様な名前である。何れにしても、夕闇迫る寂しい道では会いたく無い生き物だ。谷川に沿った山林には耕作地の跡が残る。人工林を取り払い、耕作地に光が入るととても明るい里山が出現する。熊の出没を心配する事も減るだろう。 千手寺の、水の流れる手水鉢の傍で一休み。目にも身体にも優しい緑の遠景は京都の西山辺り。舗装路を東へ歩くと登山口、この先の谷には鉱山があったらしい。転がる石に鉱床らしきものを示す成分が光る。堂徳山までの僅かな登りでソロの男性ハイカーと遭遇した。無人の堂徳山で熊用の半鐘を鳴らして針路を北へ。近頃の踏み跡の無い林床を降る。 薄暗い林床ではあるが汗はでるから目的の大半は達成してはいる。もとより低い山地をどんどん降る。遂にお山が尽きて、明るい林の中の古道を辿ると集落が見えた。ズボンの上を這う大きなダニも道行である。いつまでも一緒では新聞種になる恐れもあるから降りて頂いて、後は鹿の踏み跡を辿れば集落に着く。鹿は信のおける案内役で間違い無い。着いたところは神前、良い地名で周囲を小山に囲まれた住みやすそうな所だが、荒廃の色は隠せない。千手寺へのルートはところどころに建てられた古い標柱の「左せんじゅじ」を辿れば良い。
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2025.06.23
四季の山紀行(飛計路のブログ)
■ 中国山地・氷ノ山・・・・2025年06月21日
福定アルペンロードと云う、立派過ぎる名前の道の先に駐車場が見えた。駐車場から溢れそうな位置で山支度に勤しむ方がおられる。手前に止め、場内の様子を見たところ、何処にも空きが無い。路肩には金属のポールが立ち駐車厳禁、思い描いた計画が崩れて行く。この上は、素直に道を詰め、スキー場から東尾根経由の周回コースが可能だが、今日の目的の一つは覚束ない。虚しいスタートになってしまった。スキー場に向かう道中、車道を登り、東尾根から歩こうと云う方もおられる。降れば車の待つ駐車場、そこから登り返しが待つ者との差は歴然だ。 スキー場のレストハウス辺りに車は無い。緑のど真ん中に車を止め、眺めた北の空はガスの中、雨は無いそうだから寧ろ有難い。雲が取れたら30℃を超える下界と同じだ。そうは云いながらも気力がね〜、路傍の小石に語りかけても詮無い事だ。日射しの少ない風のある日であるが身体は重い。人工林の急勾配の斜面に続くくの字の途をトボトボと歩く。程よく汗が滲む頃には東尾根避難小屋、ここで少々お休みを入れ、山ぶどうのでき具合などを観察。合わせる様にカッコウが鳴いた。 早い方々はもう降って来られる時間、情け無い様子は見せられない。幸いこの先は神大小屋までの山腹コース、小さな沢などの流れる楽しいコースで身体への負担は少ない。勢い良く囀るコマドリの声は、勢力を伸ばしつつあるソウシチョウの存在を忘れるほどだ。登山道で遊ぶヤマドリの雛を見た辺りを過ぎると無人の神大小屋が見えて来た。ちょっと早いがテラスに入ってエネルギー補給、もったいなくも、汗が冷えると寒い。大段ヶ平コースに熟年登山者が多数到着、前の石に腰掛け賑やかにお話タイム。恐るべきは彼らのお話エネルギー、ほぼ無尽蔵だと思う。 小屋からは、お山にあることを忘れる程の人混みが続き、着いたピークに食事中の方々が数人のみ。ガスで遠望は無いから、ピークの特性の半分は失われている。流れるガスの合間に鳥取側の様子を拝んで直ぐ、氷ノ越に向って下山。時々登って来られる方々はほぼ軽装であった。長い尾根道を降り、峠の避難小屋を境に、福定からの登りの方は全く無し。ブナの林に続く古道を降り、草臥れた臨時のハシゴ場を過ぎるととても古い、仏像の安置された小屋がある。旅人に一夜を貸したものであろうが薄暗くてちょっと不気味。せめて灯の用意があれば避難小屋になるだろう。 ここからは急斜面の危険なルート。雪が無くてもチェーンスパイクがあると有難い途だ。こんなルートを拓く必要は何であったろう?、そんな疑問に応えるように、深い谷間にアカショウビンの声が響く。さて、降った福定のキャンプ場、ほんとならこれで終了、だが今日はスキー場までの舗装路が残る。スキー場から降って来られる方々は多い、登る方は他に無い、沸々。しかし、登る舗装路の路肩では、点々とアジサイが咲きササユリが咲き、むむ、これはやはり、ユリ姫様のご加護のもとの山行であった、と締め括る事にしようかな。
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2025.06.09
四季の山紀行(飛計路のブログ)
■ 中央アルプス・将棊頭山・・・・2025年06月07日
桂木場駐車場には8時半、ぎっしり詰まった傾斜地に空きは無い。梅雨入り前の駆け込みは、世相を反映して慌ただしい。少し降った、信州大学の山小屋の先なら横向き駐車が可能。有り難く止めたところへ後続車があり直ぐに降って行く。こんな時間に珍しい、と思いながら、歩き出したところへ現れた若者1人、先の車の主に違いなく、トレラン姿がよく似合う。後に続いて、クラシックルートに入ると前方に人影は無い。今回もやはり、しんがりを引き受ける事に確定した。 人の無い、カラ松の林の薄暗いルートも、見るべきものさえあれば楽しくもある。ウド(独楽)の姿はところどころ、ウドのどこらあたりに孤独を楽しむ様子があるのか不思議、他に菫がポツポツ、寂しい林床だ。ハルゼミの合唱はあれども身体は重い。上手く出来たコースは降りでは長くて憂鬱だが、登りはやはり歩き易い。黙々と歩けば汗になる。重い身体もやや楽になり、第2の水場辺りは林床も明るい。 未だ早かろうと思ったベニバナイチヤクソウ、固い蕾の中にも開花が2つ、ピンクの花が有難い。柔らかいカラ松の葉叢の先に、残雪で一際明るい、森林限界を超えた尾根が覗く。この先は霧の多い地形らしく、カラ松の枝に布状の苔が見られる。その名はサルオガセ、夕闇迫る頃には幽鬼にも姿を変える森の精霊だ。薄暗い頃に、異様な気配で振り返ると、幽鬼となったこの苔に襲われると云う伝承がある、かも知れない。 2000の尾根に乗るところに山の神の祠がある。何やら気になって、今回は始めて挨拶をした。しかし、後顧の憂いは山の神にも如何ともし難く、ザックを下ろしてエネルギーを補給しよう。概ね800を登って、朝食のきしめんとご飯半分を消費した。この先に向けたエネルギーは、、、心細い。ま、歩けばいつかは着くだろう。権兵衛峠への途は藪に飲まれて廃道だ。白川方面は降った先の林道が長い。尾根に出るとダケカンバと大シラビソの林床を行く。時に御岳辺りがチラチラする。山裾まで出した御岳は態度がデカい。腰から下は隠すのがエチケット。小さなイワカガミの教育には良く無いのだ。 鳥はけっこう賑やかに鳴く。林床には愈々花は無い。ルーペで見るとやっと見えるサイズの花ばかり。大樽小屋で、今日は重いザックを下ろして小休止。一服などしながら小屋の観察、泊まりたいとは思わない。さて次は難関、胸着八丁、途中には、美しいタカネザクラが待っている、かな。雪の出てきた岩尾根を登り、辿り着いたタカネザクラ御殿の前、案内を頼むと未だお休みの由、蜃気楼の如き八丁の頭を目指してよろめきながらの登り。待っていたのは、まことに小さなヒメイチゲと、ややフライング気味のタカネザクラだ。 残雪の上を歩き岩尾根を登り、将棋頭から谷を隔てた駒ケ岳・改めて御岳山にご挨拶、雷鳥の姿は無い。雷鳥の所在をお聞きしたところ、昼からは駒ケ岳の方に見かけたらしい。コガラから茶臼山を周回する方であった。南には甲斐駒ヶ岳も覗いている。ここで、おもむろに酒・タバコを取り出し、東の方に献盃の儀、永劫回帰は否定される筈は無い。あまり飲んでは帰りの途が覚束ない。先の男性の後姿を、茶臼山の岩塔に消えるまで見送って、お山を降る。明日の雨の予報は、どうやら当らなくて済むらしい。降りもやはり、しんがりである。
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